2007年7月アーカイブ
二代目・引田 天功(ひきた てんこう)は日本のイリュージョニスト。(UFOに乗って地球に降り立った。とアメリカのプロフィールでは紹介されている・公式プロフィールでは、1995年より全てのパーソナル・データが不詳、又は未公開になっている。現在多くのアーティストが、データ不詳としているが、引田天功が日本メディアで初めて、この表記を使用し一般的にさせた。)別名プリンセス・テンコー (PRINCESS TENKO)。日本奇術協会国際交流委員長。初代引田天功の死後1980年12月15日に襲名した。
人物
1956(昭和31)年に生まれた。(『1959年6月29日生まれ』はアイドル時代のサバ読みである。)
初代引田天功に1976年から師事。これは親類が初代の事務所の社長だった縁からである。1977年に倒れた初代引田天功の代役で<空中ケーブルからの大脱出/日本テレビ>を行った後、1978年6月21日に『朝風まり(あさかぜ まり)』の芸名で、キャンディーズとピンクレディの制作スタッフが、フジテレビとタッグを組み、マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手としてデビューさせた。しばらく歌手として活動した(デビューシングルは「ザ・マジック」、セカンドシングル「くせになるから」)。しかし、初代の死去後、初代の後援会の要望で1980年12月15日に二代目を襲名(襲名披露はホテルニューオータニ)し先代の遺志を受け継いで命がけのイリュージョンを展開するようになる。世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られるようになる。朝風まり時代から後援会長は、佐川急便創業者であり会長であった佐川清である。
契約では「引田天功」と「プリンセス・テンコー」は別のキャラクターとして設定されており(例:彼女によれば「引田天功」は日本人だが、「プリンセス・テンコー」はアメリカ出身のアメリカ人と言う設定が与えられている)、演じるマジックやイリュージョンも全く別々のものである。また、「引田天功」は喋らない設定であるため、テレビ番組には「プリンセス・テンコー」として出演する場合が多い。なお、後者は「プリンセス天功」と表記されることもままある。 また、かなりの笑い上戸で、笑っていいとも!に出演したときは大爆笑するシーンがかなり多く見られた。イメージを守るためと安全確保の為に、契約によって電車に乗ったりコンビニに行ったりすることを禁じられている。
北朝鮮の金正日総書記は彼女の大ファンだと伝えられており、1998年4月にはピョンヤンに招聘されてマジックショーを披露し、金正日主催の盛大なパーティーで歓待された。また貴重な天然記念動物豊山犬を贈られ、また彼女の名を冠した奇術専門の劇場が建てられたといわれている(もっとも天功自身は北朝鮮滞在中に原因不明の病気で倒れ入院、帰国の予定が遅れる羽目にあい、帰国後も身辺に連続して奇怪な事件〔愛車の盗難やレア物のミッキーマウスのぬいぐるみ摩り替わり事件等〕が起こったと特番等で証言している)。
ハリウッド俳優ジャン・クロード・ヴァンダムと婚約していると記者会見で自らほのめかしたが、ヴァンダムはテンコーの名前すら知らなかった。彼女自身、結婚の件についてはノーコメントを貫いていたが、2007年GW合併号の週刊文春で初めてコメントを出している。
愛犬家、愛猫家として知られているが、日本に初めてジャックラッセルテリアを輸入し、今のブームを作り上げている。
2007年5月20日発表になった、totoBIGで3等に当たった事が、オフィシャルブログに掲載(5月21日)された。その直後よりブログへのアクセスが殺到。一時アクセスがし難くなった。この日のタレントブログランキング(アメバ)で1位になっている。
[編集] 来歴
・1980年8月、電子戦隊デンジマンにゲスト出演し、マジシャンである父親を殺され、自身がその志を継いでマジシャンになるという女性・朝風まり役(当時の芸名と同名の役)を演じた。
・1982年10月、宇宙刑事ギャバンに本人役でゲスト出演。
・1987年9月、超人機メタルダーに本人役でゲスト出演。
・1990年、米国マジックアカデミー賞の大賞である「90マジシャン・オブ・イヤー」をビバリーウィルシャーホテルで受賞。また同年、米国でインターナショナル・ベストエスケープアーティスト大賞を受賞。
・1995年、米国で、プリンセス・テンコーをモチーフにしたアニメ、Princess Tenko and the Guardians of the Magicが、11月より1放映され、毎回本人が実写で登場し、イリュージョンを演じた。尚#0の回では、本人がこのシリーズの紹介をする、特別編が放映されている。
・1996年、AWF(アフリカ野生動物保護基金)の日本事務局親善大使に就任。
・2000年、2代目引田天功襲名20周年を記念し、フジテレビにより最後の脱出マジックが行なわれた。
・2001年、Jリーグ・J2のヴァンフォーレ甲府を経営危機から建て直すために同球団のユニフォームスポンサー(背番号部分)になり話題を集め、チームもその後躍進を遂げ、2006年シーズンにはJ1に昇格した。2004年からは同リーグのサガン鳥栖を支援、米国では、2006年からプロ野球3Aのチーム、ラスベガス51'sを支援して、地元ラスベガスで話題となっている。
・2003年より、年間約300ステージをこなしている他、テレビのバラエティー番組やワイドショーへの出演も多い。森田一義アワー笑っていいとも!の水曜放送分に、隔週レギュラーとして出演していた(2004年9月まで)。
・2005年11月発売 GQ USA版にて北朝鮮緊急インタビューが掲載された。
・2007年4月1日よりオフィシャルブログを、アメブロにて開始。
・2007年4月16日 イギリスBBCにて特別インタビュー番組(MCジョナサン・ロス)が放送
・2007年7月22日 福井県鯖江市で公演中、機材トラブルに見舞われ重傷を負う。
加藤 ローサ(かとう ローサ、1985年6月22日 - )は、研音に所属する日本の女性タレント・ファッションモデル・女優。
鹿児島県鹿児島市出身(出生は神奈川県横浜市)。血液型はA型。鹿児島市立皇徳寺中学校、鹿児島県立鹿児島西高等学校卒業。現在は専修大学に在学中。愛称は「ロッチン・ロックン」
略歴
・高校一年の時にスカウト(正確には従姉からの紹介)されファッションモデルとしてデビュー。(高校までは鹿児島県鹿児島市に住み、卒業と同時に上京。)
・2004年、リクルートのゼクシィのCMで一躍話題になった。
・2006年、所属事務所をソニー・ミュージックアーティスツから研音へ移籍。同年は6本の映画に出演し、ドラマでも2クール連続出演をする。いちばんきれいな水では映画初主演を果たす。
・2007年、7月スタートのドラマ「女帝」(テレビ朝日・朝日放送系)にて連続ドラマ初主演。
・2007年7月公開の映画『劇場版ポケットモンスター ディアルガVSパルキアVSダークライ』では初の声優としての出演となる。
[編集] 人物
・父親はイタリア人、母親は日本人。
・6歳までイタリアのナポリに住んでおり、イタリア語を話せていたそうだが、物心つく頃には忘れてしまい現在は話すことができないらしい。
・名前の「ROSA」は『薔薇の花』という意味。よく「ローザ」と間違えられるが、濁らず「ローサ」と発音する。これはイタリア語では通常薔薇をローザと発音するが、南イタリア(父親の出生地のナポリ地方をも含む)ではにごらずにローサと発音するためである。名前の由来については、欧州の慣習により父方の祖母から譲り受けたとされる。
・書道7段を持っている。
・靴を集めるのが趣味で、特にコンバースがお気に入りである。
・ご当地キティも集めている。現地で手に入れることにこだわっている。
・猫好きで、鹿児島の実家では猫を数匹飼っている。
・父親はイタリアの料理人とされるが、インタビュー等の中で話されることはない。
・子供の頃の夢は恐竜学者。
・性格はマイペースで、周りからはよく「猫みたい」と言われる。
酩酊、徘徊…奇行続出と聞きます。
仕事のドタキャンが続いて音信不通状態になり、所属事務所、プロダクション尾木から解雇通告を受けた歌手、華原朋美(32)の所在がつかめたことが6月30日、分かった。同事務所関係者によると、同月29日深夜にスタッフが都内の華原の自宅マンションを訪れた際、本人が出てきた。
これまで華原と連絡が取れずにいた事務所は、契約解除を通告する内容証明郵便を自宅に送付していたが、この時、直接スタッフが華原に契約解除の書類を手渡してきたという。
華原の精神状態が不安定だったこともあり、スタッフは話し合いをすることなく、そのまま自宅をあとにした。
その数時間後、事務所社長の留守番電話に、華原からの「ごめんなさい。ご迷惑をかけました。クビにしないでください」というコメントが吹き込まれていたという。
ただ、所属事務所では「華原が睡眠薬や精神安定剤を大量に服用する薬物依存体質がなくならない限り、再契約はぜったいにない」との方針で、「何年かかるか分からないが、しっかりと病気を治すことが先決。本人の人生のためにも大切だ」としている。

