2007年12月 3日
川中島の戦い
川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦い。
いずれの戦いも、千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に行われたことから、川中島の戦いと総称する。
川中島の戦いの主な戦闘は、計5回、12年余りに及ぶ。単に「川中島の戦い」と言った場合には、最大の激戦であった第4次合戦(永禄4年9月9日(1561年10月17日)から10日(18日))を指すことが多い。
第一次合戦:天文22年(1553年)
第二次合戦:天文24年(1555年)
第三次合戦:弘治3年(1557年)
第四次合戦:永禄4年(1561年)
第五次合戦:永禄7年(1564年)
戦いは各々、上杉謙信軍(以下、長尾軍あるいは上杉軍)が北信濃の奪回と越後の防衛を、武田信玄軍(以下、武田軍)がその阻止と越後攻めを目的とした。結果として、川中島の戦い以後も武田信玄が北信濃を支配し続けて信濃支配を磐石にしたため、武田信玄が戦略的勝利をおさめたと評価しうる。一方、上杉軍は北信濃をほとんど奪うことができなかったものの、上杉謙信も越後と叔父の高梨政頼の信濃飯山城を守りきったため、ある程度の成功を収めたといえる。
なお、上記の「五回説」は一般的であるが、異説も存在する。特に田中義成氏の「二回説」は、上記第二次と第四次のみを川中島の合戦と呼ぶものである。この二回は直接両軍が交戦した記録が残っているが、他の戦いは交戦を避けたりしている場合が多いため、「二回説」を主張する研究者の理屈にも一定の説得力があるといえるが、一般的とは言いがたい。
投稿者: ドッグロン 日時: 2007年12月 3日 06:01 | パーマリンク |TOPページへ ▲画面上へ
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